名古屋駅から約15キロ、今では大都市近郊の町となっている津島は津島神社の門前町として古くから発展した町です。
舟運の拠点で、参拝客も集まった「津島湊」の港町としても発展し、川の両岸には多くの町家が並びました。
町を流れていた天王川は明治時代に廃川となりましたが、その名残が天王川公園などの町なかのあちこちで見られます。
また、川沿いの堤防の上を通っていたという津島街道沿いに、かつての町並みが残ります。
この記事では津島の町並みの見所や、実際にマイカーや鉄道などで古い町並みを訪れるためのアクセス方法について紹介しています。
実際に訪れた際の訪問記も掲載していますので、こちらも参考にしてみてください。
津島湊の港町としても栄えた、津島神社の門前町
津島神社への参詣客を乗せた船が集まった港
名古屋市の西側、木曽三川にも近い濃尾平野の西部にある津島(愛知県津島市)は、全国の津島信仰の中心となっている津島神社の門前町として古くから発展した町です。
市内を流れていた天王川を利用した舟運による物資の集散地で、川湊(津島湊)の港町としても発展し、川の両岸には数千軒の町家が建ち並んでいたとも言います。
津島湊は津島神社からも近く、参詣客を乗せた船が次々と寄港するなど、周辺はこの地方でも随一の賑わいを見せたとのことです。
超高層ビルが林立する名古屋駅からわずか15キロ程度という利便性もあってか、現在でも参詣客や「尾張津島天王祭」の見物客などの観光客が年間100万人以上も訪れる、観光都市になっています。
今では川は無くなってしまいましたが、かつての川沿いの街道筋や津島神社の周辺などに古い町並みが見られます。
大都市圏の中に残された、貴重な歴史都市と言って良いでしょう。
名古屋マリオットアソシアホテル
天王川の自然堤防だった、街道筋に残る町並み
明治時代まで市内を流れていた「天王川」
津島市の中心部に当たる場所には、かつて天王川という大きな川が南北に流れていました。
洪水が多発していた木曾三川の整備の影響を受けて明治時代に廃川となり、その一部が縦長の池として残ったものが今の天王川公園となっています。
この公園くらいの幅の川が市内を南北に流れていたと思うと、当時の状況が想像がしやすいかも知れません。
現在の市街地は川で東西に分断されていて、津島神社の門前には参詣者が渡るための大きな橋が架かっていたようです。
「津島神社御旅所跡」に立つ御神木の大イチョウは、江戸時代までは川の西側に当たる堤防の上に立っていました。そこから東へ伸びる「天王通」は、川底だったというわけです。
津島街道(本町筋)に残る古い町並み
現在「津島市観光交流センター」がある津島街道(本町筋)は、天王川の東岸にあった自然堤防の上を通っていた道です。
「堤下(とうげ)神社」という小さな神社が道沿いにあったりして、この辺りが堤防だったのかな、などと当時の様子を思い浮かべることもできます。
緩やかなカーブを描く様子は、川の流れそのままなのかも知れません。
街道筋には古い町並みが残り、川沿いに発展したこの町の成り立ちを今に伝えています。
特に見事な景観が見られるのが観光交流センターのすぐ北側の津島上街道沿いで、町家が連続して建ち並びます。
また、街道を南に進んだ津島下街道の「本町ラクザ」(町家を再利用した飲食店などが入る施設)付近にも、古い町並みがよく残されています。
津島神社と、「尾張津島天王祭」の展示がある「観光交流センター」
門前町としての津島の中心が、今でも多くの参拝客が訪れる津島神社です。全国に3000社がある津島神社(天王社)の総本山で、牛頭天王を祀っています。
代参者がここをお参りして、お札などを持ち帰って配るという「代参講」の風習が各地にみられたと言います。
疫病退散のご利益があるそうです。
その津島神社のお祭りが、三大川祭の一つである「尾張津島天王祭」です。
数百の提灯を載せた「まきわら船」という船が天王川を進むというお祭りで、室町時代以来の歴史があると言われます。
川がなくなった後も、毎年7月の終わり近くに天王川公園の池を使って開催されています。
お祭りの様子は津島街道の「津島市観光交流センター」で展示されていて、「まきわら船」の提灯の様子などを、普段から見学することができます。
また、このセンターの建物は昭和4年に銀行として建てられたもので(最後は津島信用金庫本店)、内部にはかつての金庫が残っていたり、建物自体に一見の価値があります(国の登録有形文化財です)
http://hc-ppp.com/tsushimashikankou/
(津島市観光交流センター公式サイト)
アクセス方法
マイカー・レンタカー利用の場合
東名阪道など、主要な道路が近くを通る
車社会として知られる大都市名古屋の近郊エリアだけあって、津島市周辺は道路網が非常に発達しています。
最も近いのが東名阪自動車道の弥冨インターチェンジで、約6キロ12分ほどで到着することができます。
東名阪道は名古屋市内の高速道路網に接続しているのはもちろん、四日市ジャンクションで新名神高速とも直結していて、関西方面から訪れるにも便利な高速道路となっています。
天王川公園の駐車場が無料で利用できる
天王川公園には50台程度が停められる駐車場があって、無料での利用が可能です。
(ゴールデンウイーク前後の「藤まつり」の時期は有料なので注意。公園内に立派な藤棚があって、名物となっています)
津島神社や古い町並みにも近く、かつての川だった公園自体が訪れる価値のある場所なので、ここに停めるのがおすすめです。
レンタカー比較といえば、たびらいレンタカー
鉄道利用の場合
名鉄津島線・尾西線の2路線が乗り入れる津島駅が、町の玄関口となっています。
古い町並みのある津島街道の辺りまでは、徒歩10分ほど。名鉄名古屋駅からは名鉄本線・津島線経由で約30分前後で到着します。運賃は410円です(2023年2月現在)
(津島線は須ヶ口駅で乗り換えですが、名古屋駅から津島方面への直通列車も数多くあります)
列車本数は1時間に4~6本ほどとかなり多く、やはり大都市近郊区間という感じの便利さです。
また、同じく名鉄の一宮駅からは津島線経由でこちらも約30分、運賃は460円となっています。
なお、津島市内には宿泊施設が非常に少ないため、名古屋市内や一宮市など、周辺の町で宿泊することになると思います。
この場合、できるだけ名鉄の駅から近いホテルを選ぶと便利だと思います。
名鉄グランドホテル JR尾張一宮駅、名鉄一宮駅から徒歩2分の好アクセス
ABホテル一宮
川の記憶が残る町 ~津島を歩いてみました~
池に変わった「流れない川」
津島を訪れたのはかなり暑い夏の日で、天王川公園の駐車場に停めた車を降りた途端、くらくらとしたくらいでした。
公園を歩き出すと見えてくる池は、元々は市内を流れていた天王川の一部です。しかし「流れていない川」というのはあまり涼しそうには見えず。
池に浮かぶ小島へ渡る橋の上で、ようやく風の涼しさを感じることができました。
池の北側には赤い鳥居と「津島湊跡」という立札があって、ここが単なる門前町ではなく、水運でにぎわった川湊の町だったということを知りました。
近くの貸しボート屋さん前の水面にはスワンボートが群れていて、これが港の末裔ということなのかも知れません。
池の先端からさらに北へ、つまりはかつての川の流れを遡るように小路を進みます。
左右には格子窓や駒寄せのある民家、行く手には青空へ枝を伸ばす立派なイチョウが見えてきます。
ご神木であるそのイチョウが立っている、「津島神社御旅所跡」は旧天神川の西堤防に当たる場所だということで、地面よりも少し小高くなっているようでした。
幹の向こう、家屋やビルが密集しているその辺りはつまり川底だったというわけです。
堤防の上の街道筋に残る町並み
津島神社を参拝してからまた少し北上し、加藤清正公を祀る祠や、川の名残だろう水路近くの町並みを見てから、かつての川底を東へ横切って津島街道(本町筋)へ。
こちらは、天王川の東岸にあった堤防の上を通っていた道だということでした。
街道筋を南下していくと、黒壁に格子戸の町家が建ち並ぶ一画が姿を現します。
重厚な洋風建築もあって、これが「津島市観光交流センター」。元々は銀行の支店だった建物で、津島信用金庫の本店となった後、こうして再利用されているのでした。
この辺りが、古い町並みが最も見事に残っている区域のように思われました。
堤下神社という、いかにも堤防の下にありましたという名前の小さなお社を越えて歩くと、軒先にも届くくらいに立派な道標が立つ三叉路に出ます。
「左・津島神社参宮道」とあるのは、ちょうどここが街道筋と参道の分岐点だったということらしいです。神社の門前には、天王川にかかる大きな橋があったようです。
この辺りにも、古民家が連なる町並みが残ります。
築150年の家具屋さんが、「本町ラクザ」という商業スペースとして再利用されていますが、外見はちゃんと昔のまま。
上手に活用して、長く残していって欲しいものです。
訪れてみたい、東海エリアの古い町並み
東海エリアの古い町並み
郡上八幡の古い町並みを歩いてみよう ~水路と川が美しい城下町~(岐阜県)
伊勢河崎の古い町並みを歩いてみよう ~板壁の商家が残る「商人館」~(三重県)
高山・三町の古い町並みを歩いてみよう ~観光客にも人気の飛騨の城下町~(岐阜県)