首里は、かつての琉球王朝の首都だった町です。
世界遺産に登録されている首里城を中心とした城下町で、琉球石灰岩で覆われた台地の上に士族の屋敷が建ち並ぶ、大規模な町でした。
沖縄戦の被害もあり、かつての面影が残る場所の少ない首里の町ですが、城の南西側に当たる「真和志之平等」区域にある金城町には、石畳の急な坂道に沿って石垣や琉球赤瓦の屋根が見られる、伝統的な風景が残されています。
この石畳の坂道は、首里城と那覇の港を結んだ「真珠道」という、16世紀に整備された街道の一部でもあり、非常に貴重な景観が残されていることになります。
この記事では首里金城町の町並みの見所や、実際に鉄道やマイカーなどで古い町並みを訪れるためのアクセス方法や駐車場について紹介しています。
実際に訪れた際の訪問記も掲載していますので、こちらも参考にしてみてください。
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琉球王朝の首都、首里の面影を残す町
首里城の南側にある急な斜面に、石畳の道が残る
1954年に那覇市と合併し、現在はその一部となっている首里は、かつての琉球王朝の首都だった町で、現在は世界遺産に登録されている首里城を中心として整備された城下町でした。
琉球石灰岩で覆われた台地の上に、士族の屋敷が数多く建ち並ぶかなり大規模な町で、16世紀ごろに尚真王によって建設されたと言われています。
町は、「三平等(ミヒイラ)」と呼ばれる三つの地域(「平等」は坂という意味)に分かれていて、城の南側が「南風之平等」、北側が「西之平等」、そして西側が「真和志之平等」と呼ばれます。
(北側が「西」となっているのが面白いですが、この「西」は当て字で方角の意味ではないそうです)
この、西側に当たる「真和志之平等」の一部に当たるのが「金城町」で、首里城のある台地の南西側斜面に発達した地区です。
石畳の急な坂道が集落を南北方向に貫くように続いていて、その道沿いに琉球赤瓦の屋根が見える、昔ながらの風景が残されています。
沖縄戦による被害もあって、かつての面影が残る場所が限られる首里の町の中でも、非常に貴重な区域と言えるでしょう。
首里城から那覇へと続いていた、石畳の「真珠道」
首里城の南西側にある首里金城町へと向かうには、城の正門に当たる守礼門から、木々に囲まれた坂道を南へと歩きます。
交差点を越えてさらに、こちらも石畳が整備された島添坂(シマシ―ビラ)を下って行くと「金城町大通り」という通りと交差しますが、その先に続く急な下り坂に沿って、金城町の石畳の道があります。
石畳の通りは、金城川(安里川)にかかる金城橋のそばまで続きますが、このコースはほぼそのまま、首里城と港町だった那覇とを結んだ「真珠道(真玉道)」という街道の一部に当たります。
16世紀の初めに整備されたこの道は、外敵の侵攻に備えるためのもので、有事の際に城から兵力を送り込むという目的でした。
サンゴ礁からできた琉球石灰岩を敷き詰めて作られた道で、完成当時は真珠のように白く輝いていたということから、この名がついたと言われています。
その一部が今も姿を残しているのが、首里金城町の石畳の通りということですね。
あいかた積み(多角形の石を、その形を生かしたままパズルのように組み合わせて積む)の石垣も、景観の特徴となっています。
この道は、国土交通省が定める「日本の道百選」に選ばれていて、沖縄県内では同じく古い町並みの残る竹富島の県道黒島港線とこちらの2か所のみとなっています。
首里金城町の見どころ、「金城大樋川」と「大アカギ」
目印のようになっている石敢當(琉球や南九州で見られる魔除け)と、琉球赤瓦の民家(喫茶店として営業しています)がある急な坂道を下って行くと、ガジュマルの樹がそびえる広場のようになっている交差点があって、その角には休憩所として使われている「金城村屋」(かなぐしくむらやー)という赤瓦の建物が建っています。
ここはかつて、若者が集まって相撲などをした、「樋川毛」という広場があった場所だそうです。
その隣にあるのが、集落の共同井戸(「村ガ―」)として使われていた「金城大樋川」(キンジョウウフヒージャー)。
あいかた積みの石積みに囲まれたその立派な様子は、まさに遺跡と言った趣きで、実際に那覇市の史跡に指定されています。
また、石敢當の前から横道に入ると、「金城の大アカギ」という樹齢200年以上という6本のアカギの大木群を見ることができます。
かつての首里城周辺には、このような大木が他にも生育していたとのことですが、戦争の被害で多くが姿を消したそうです。
この大アカギの周囲は、信仰の場所である「内金城嶽」(ウチカナグスクタキ)となっていて、非常に神秘的な空気の感じられる場所となっています。
首里城や玉陵などの、金城町周辺の史跡
沖縄戦での焼失後、1992年に復元された5代目の首里城正殿が、非常に残念ながら2019年の火災で焼失してしまったことは、大きなニュースにもなったため良く知られていると思います(2024年現在、再び再建工事が進行中)
しかし、琉球の城(ぐすく)でも最大規模の壮大な石垣や城壁にはもちろん変わりは無く、世界遺産としての首里城の姿は、ほとんどが以前のままであるとも言えます。
城下町であった首里金城町から、首里城公園として公開されている城跡までは歩いてもすぐなので、必ずあわせて見ておきたいところです。
また、城跡の西側にある「玉陵」(たまうどぅん)という史跡も必見です。
琉球王朝(第二尚氏)の国王だった尚円王の陵墓で、1501年に築かれた建造物です。
これほどに巨大な石造の建造物は国内でも他にはほとんど例がなく、世界遺産に登録されているほか、国宝にも指定されています。
どちらの史跡も実際に目にすれば、まさに世界遺産という感じの迫力に圧倒されることは間違いありません。
アクセス方法
鉄道(ゆいレール)利用の場合
沖縄で唯一の鉄道(モノレール)で、那覇空港とも直結のゆいレールの首里駅が、最寄りの駅となります。
駅からは約1.5キロあり、徒歩で20分以上とはなっていますが、その経路のほとんどが首里城の中となっているので、城を観光しつつ現地に向かうような感じになると思います。
那覇空港駅から首里駅までは約30分、運賃は340円となっています。
今や、那覇の主力交通機関となったゆいレール。
高い場所を走るモノレールということで眺めも素晴らしく、那覇で最もにぎわうメインストリートの国際通りとも県庁前駅や牧志駅で接続する、非常に便利な乗り物となっています。
乗るだけでも観光気分が楽しめるので、おすすめです。
なお、1日フリー乗車券が800円、2日フリー乗車券が1400円で販売されています。
(2024年3月現在)
バス利用の場合
ゆいレールの旭橋駅近くにある「那覇バスターミナル」から、那覇バスの7系統「首里城下町線」に乗って、「石畳前」バス停で降りれば、金城町石畳道のちょうど入り口に到着します。
所要時間は約30分、料金は240円です。
ゆいレール利用と比べると、首里駅から徒歩で往復しなくて済む分楽なのですが、本数が1時間に1本程度しかないので、観光で利用するにはしっかりと予定を立てておく必要がありそうです。
http://www.daiichibus.jp/map/Transit?searchType=4
(那覇バスロケーションシステム)
マイカー・レンタカー利用の場合
那覇空港から30分弱
那覇の市街地に隣接する場所なので、那覇空港から一般道(国道58号那覇西バイパスなど)の利用で30分かからずに到着します。
那覇空港でレンタカーを借りる場合、空港ターミナルから少し離れた赤嶺周辺に集まるレンタカー屋さんからの出発となる場合が多いと思いますが、時間的に大きな変わりはないでしょう。
ただ、那覇市内は渋滞することも多いので、予定には十分な余裕を持っておくようにしましょう。
「交通広場」の駐車場が無料で利用できるが、首里城駐車場の利用も検討を
石畳道から徒歩数分の場所にある「交通広場」というスペースを、無料の駐車場として利用することができます。
利用時間は朝8時から午後6時まで。ただ、地元で管理されている住宅地の中のような場所なので駐車台数はわずか数台分なので、混雑時には駐車困難になる可能性もあります。
首里城観光とセットということを考えると、有料にはなりますが、首里城の駐車場を利用することを考えるほうが良さそうです。
幸い、首里城で最も規模の大きい県営駐車場が近くにあり、最大50台以上の駐車が可能です。
料金は、1回400円(1回3時間程度までの駐車が可能)となっています。
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クリスマスの那覇観光、12月の首里で
初夏の陽射しだった12月の那覇、やちむん通り
近年は、冬の避寒で南九州や沖縄方面へ出かけることが増えました。
初めて首里を訪れたのも12月のことで、那覇の町はクリスマスムード。メインストリートの国際通り周辺では見事なイルミネーションも施されていましたが、夜になっても上着なしで歩けるくらいの暖かさで、南半球のクリスマスってこんな感じなんだろうか、などと思ったりしました。
飛行機で那覇空港に着いて、まずはゆいレールに乗って牧志駅で降り、駅に直結のホテルにチェックイン。
まだまだお昼過ぎで時間は早いので、部屋に荷物を置いて国際通りへ。牧志駅は繁華街に近くて、辺りはなかなかの賑わいぶりでした。
陽射しもまるで初夏のようで、寒い本土で働いている友人たち(平日だったので)に「いいだろう」と自慢の写真を送ってしまうくらいに嬉しくなったのを憶えています。
(その後、逆に自慢をやり返されたりしましたが)
向かった先は、壼屋の「やちむん通り」。沖縄の焼き物である「やちむん」の産地として知られる町で、首里の王府が17世紀に陶工を集めて住まわせたのがその始まり。
那覇の町の中でも、奇跡的に戦火を逃れた地区ということで、一度訪れてみたかったのでした。
起伏の多い地形に、「やきもの散歩道」などの曲がりくねった小路が張り巡らされた様子はなるほど焼き物の町らしい雰囲気。
重要文化財の「新垣家住宅」などの伝統的な建物も見られました。
早朝の首里金城町、猫たちのお出迎え
明くる朝、ほぼ日の出くらいの時間からホテルを出て、すぐそばの駅から首里行きの列車に乗り込みます。間もなく浦添市まで延伸されましたが、この時はまだ首里駅がゆいレールの終点。
段々空が明るくなってくる中、まだ開園前の首里城公園を横目に見ながら、金城町の方面へと向かって緩い坂道を登っていきます。
この辺りの道もやはり色んな方角へと曲がりくねっていて、地図を確認しながらでないとちょっと歩くのは大変でしたが、無事に石畳道の入り口に到着。
静かな住宅地の通りに面した、普通の民家と民家の間に伸びる小路を歩きはじめると、道はたちまちに石段のある急坂に変わります。
はるか下方へと向かって続く石畳の道は、両側を立派な両側を挟まれていて、その風景自体に遺跡のような風格が感じられます。
琉球石灰岩を使った多角形の石板がきれいに敷き詰められた石畳も、あいかた積みの石垣も、まるで複雑なパズルのようでした。琉球赤瓦の屋根と合わせて、国内の他の場所では見たことのない、まさに沖縄独特の風景に感じられました。
石畳の急坂を下り、途中の「金城村屋」や「金城大樋川」などを見学してから、再び意を決して坂を上り始めます。
続いて、そろそろ開園しているはずの首里城公園と玉陵を見に行く予定なのです。
ふうふう言いながら坂を上がって行くと、道沿いの民家から姿を現した猫たちが、お出迎えをしてくれました。
暖かい沖縄の、決して車が入ってこないこの町で暮らす猫たち。
その姿は、とても幸せそうに見えました。
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