ローカル鉄道の終着駅で列車を降りると、その先には静かな古い町並みが広がっていた。
そんな経験をされたことのある方も、いらっしゃるかもしれません。
かつては、鉄道路線や駅が建設されるくらいに栄えた町が、今はそのにぎわいを失い、その代わりに昔ながらの風景を見事に残しているというのは、よく見かける事例のような気がします。
このページではそんな、ローカル鉄道で訪れることのできる古い町並みを6か所紹介しています。
いずれも派手な観光地のような場所ではなく、ゆっくり静かに歩きたい町ばかりです。
ぜひ実際に、列車に乗って訪れてみてほしいと思います。
阿下喜(三重県いなべ市)~貴重な「ナローゲージ」、三岐鉄道北勢線の終点にある宿場町~
桑名城下と員弁を結んだ、「濃州道」の宿場町

阿下喜(三重県いなべ市)は、揖斐川に面した桑名城下と員弁とを結んだ濃州道(員弁街道)の宿場町で、岐阜や滋賀との県境に近い内陸部にあります。
濃州道は、この阿下喜の北側で美濃へとつながる「巡見道」に合流していて、その名の通り桑名から最終的には美濃へと向かう街道としての役目を持っていました。
いなべ市の中心に当たる、員弁川沿いの高台に密集する市街地に古い町並みが残り、特に町を貫くように走る旧濃州街道の通り沿いには、かつての商家などの立派な建物が並んでいる様子が見られます。
この町が宿場町であると同時に、この地域の商業の中心としての役割を持っていたことを、感じとることができます。

戦前の小学校の校舎が残る、「桐林館」

昭和12年に建設された、旧阿下喜小学校の校舎が保存されていて、町のシンボル的な存在となっています。
切妻造りの正面玄関の上に塔屋が載る非常に立派な建物ですが、これでも本来の校舎の一部で、当時の写真を見ると同じような規模の建物が三棟並んでいたようです。
昭和56年までは現役の小学校校舎として使われていましたが、現在では資料館およびカフェなどとして利用されています。

貴重な「ナローゲージ」の鉄道、三岐鉄道北勢線の終点となる阿下喜駅

旧濃州道のコースをたどるように、桑名と阿下喜の間を結んで走っているのが、三岐鉄道の北勢線です。
かつては大手私鉄の近鉄北勢線だったこともあるこの路線ですが、なんと言っても特徴的なのが、レールの幅が非常に狭い(762mm)、「ナローゲージ」を採用している路線だということです。
JRの在来線が1067mm、新幹線や近鉄などの私鉄の一部が1435mmなので、その狭さがわかります。
車両も非常に小さくて、向かい合ったシートとシートの間の通路はとても狭く、天井も手が届きそうな低さとなっています。
この「ナローゲージ」は、「軽便鉄道」という簡易な鉄道路線によく用いられていたもので、昭和の中頃までは全国各地にいくつもみられました。
しかし、岡山の下津井電鉄が1991年に廃止されてからは、この北勢線以外には同じ三重県を走る四日市あすなろう鉄道と、トロッコ列車で人気の富山県の黒部峡谷鉄道しか残っていません。
北勢線の始発駅である西桑名駅(JR・近鉄の桑名駅に隣接)から阿下喜までは、20キロほどしかないのですが、このような簡易な軌道で速度も出ないからか、所要時間は50分ほどにもなります。
でも、こんな珍しい電車にゆられながらの旅は、他ではできない貴重な経験となるのは間違いありません。
大きく揺れながら懸命に走るため、実際に乗っていると結構スピード感はあったりします。
通学路線になっていることもあって、列車の本数は1時間に1~2本程度はあって、意外とそれほど不便ではありません。
運賃も510円と、乗車時間の割にはかなり安いです。
(2026年1月現在)

駅から街道沿いの町並みの辺りまでは、徒歩10分ほどとなっています。
阿下喜駅の駅舎は、2006年ごろに建て替えられた新しいものが使われていますが、それ以前の旧駅舎が市街地の中に移設されて復元保存されています。
昭和6年に建てられたという、ヨーロッパ風のモダンな駅舎は必見で、桐林館からもすぐ近くなのでぜひ立ち寄ってみてください。
(内部公開も時々行っているようです)


黒石(青森県黒石市)~弘前と黒石、二つの城下町を結ぶ弘南鉄道弘南線~
弘前の支藩から昇格した城下町、黒石

弘前の東北数キロの位置にある黒石(青森県黒石市)は、弘前藩の支藩であった黒石藩の中心地として栄えた城下町(陣屋町)です。
周囲の農村地帯からの収穫物の集積地として栄え、彦根の近江商人など多くの商人が全国から移り住んだと言われます。
本家とも言える弘前から、逆に人を集めるほどに栄えたことで、後には支藩から格上げになって黒石藩が成立しました。
商家の建ち並ぶ古い町並みが残り、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)にも選定されています。
雪国のアーケード、「こみせ」の残る「中町こみせ通り」の町並み

古い町並みがもっとも残っているのが商人町だった中町で、その中心だった「浜街道」に当たる通りは「中町こみせ通り」という名前で呼ばれています。
大きな屋根が見事な伝統的商家がいくつも現存していますが、黒石ならではの特徴は、やはり「こみせ(小見世)」。
雪を防いで通路を確保する目的で作られた、木造の「アーケード」です。
町の各所に整備されていたと言われますが、大火で多くが焼失したため、これだけの規模の「こみせ」が残るのは中町だけのようです。

JR弘前駅から黒石駅までを結ぶ、弘南鉄道弘南線

弘前藩の支藩であったことからも分かる通り、この地方の中心である弘前との結びつきは強く、現在でもJR奥羽本線の弘前駅との間を私鉄の弘南鉄道が結んでいます。
距離は約17キロで乗車時間は約35分、運賃は470円です(2026年1月現在)
列車の本数も1時間に1~2本程度ある(日中はほぼ1本)ので、割と気軽に弘前から足を伸ばすことができる感じです。
駅からこみせ通りまでは徒歩で10分ほどです。
「田んぼ鉄道」との愛称がつけられている通り、岩木山が彼方に見える田園地帯を走る路線で、撮影スポットもいくつもあるようです。
沿線の田んぼアートでも有名で、「田んぼアート駅」という駅まで設けられています。
関東の東急電鉄で昔使われていた車両が走っているので、そこに懐かしさを感じる方もおられると思います。

黒石駅にはかつて、国鉄の黒石線という路線も来ていました。
国鉄がJRに変わる前に、弘南鉄道が経営を引き受けて引き続き運行しましたが、こちらは弘南線と違って弘前には直通できない(奥羽本線の川部駅で乗り換え)などの問題があって、1998年には廃止されています。
国鉄のほうの黒石駅は、弘南線の黒石駅のすぐ向かい側にあったそうです。
なお、同じ弘南鉄道でも弘前の中心市街地にある「中央弘前駅」から出る大鰐線という路線もありますが、こちらは温泉のある大鰐への路線なので、黒石には行きません。
この大鰐線も、風情のあるローカル線のようなのですが、2027年度末での休止(事実上廃止)が決まってしまったのが残念です。


神代小路(長崎県雲仙市)~島原半島の北側を走る、島原鉄道で訪れる武家町~
美しい生け垣が印象的な、武家屋敷の並ぶ町

雲仙岳がそびえる島原半島の最も北側、有明海に流れ込む神代川の河口近くにある神代小路(長崎県雲仙市)は、旧鍋島藩の陣屋を中心に形成された集落です。
神代城址のある山と、堀を兼ねた川に囲まれた狭い土地にいくつもの武家屋敷跡が残り、重伝建地区にも選定されています。
本小路(くうじ)、上小路などいくつもの通りによって整然と区画されており、小さいながらも風格のある集落です。
武家屋敷の塀と、手入れの行き届いた生け垣によって構成された風景は、まるで庭園の中を歩いているかのように感じられるほどの美しさです。
知覧麓などの、薩摩の麓集落にも近い雰囲気があるかもしれません。

神代小路のシンボル、鍋島陣屋跡と永松邸

江戸時代に佐賀藩の神代領となり、鍋島家によって統治されることになったこの地の中心だったのが、鍋島陣屋です。
廃藩置県後も、陣屋跡は引き続き神代鍋島家の屋敷となっていましたが、現在ではその邸宅は公園として公開されています(国の重要文化財に指定)
江戸時代の末期に建設されたという長屋門の、門前に連なる石塀がきわめて立派で、神代小路の町並みのシンボル的な存在になっています。まるで古代遺跡のようなたたずまいが感じられますね。
町並みの南端近くには、その鍋島家の教育係を勤めたという永松家の武家屋敷が残っています。
江戸時代の後期に建てられたもので、美しいかやぶき屋根が印象的。
生垣に囲まれて、中をうかがい知ることが難しい感じも、いかにも武家屋敷らしいですね。

島原半島の北側を半周する、島原鉄道の神代駅が最寄り駅

島原半島の付け根のような場所にある、この地域の中心都市である諫早と、半島の東側にある島原を結ぶ鉄道が、島原鉄道です。
ちょうど半島の北側を、ぐるりと半周するような形で走っている路線で、全長は約43キロと非電化ローカル私鉄にしてはなかなかの長距離となっています。
海沿いを走る区間が長く、「日本一海に近い駅」とも言われる大三東駅が人気スポットになっていたりもします。
神代小路の最寄り駅は、途中の神代駅で、ここまでは諫早から約50分ほどとなっています。列車の運行は1時間に1本、運賃は1030円です(2026年1月現在)
2008年までは、南島原市の加津佐駅まで路線があって、この当時は全長も80キロ近くありました。
国鉄キハ20形と同じ仕様の、年代物のディーゼルカーが走ることで知られましたが、この一部廃線の時に、この車両も引退してしまいました。
幸い、現役時に乗ることができたのが、よい記念になりました。


三国湊(福井県坂井市)~長い歴史のある「えちぜん鉄道」に乗って、北前船の寄港地へ~
北前船の寄港地として栄えた、九頭竜川河口の港町

福井県を縦断するように、日本海へと流れる九頭竜川の河口近くにある三国(福井県坂井市)は、古くは中世から港町としての歴史を持つ町です。
江戸から明治時代にかけては北前船の寄港地として日本海側屈指の港町へと発展を遂げ、現在でも越前カニが水揚げされる漁港として賑わいます。
広々とした九頭竜川の流れに沿って、全長2キロ以上に渡って続く市街地の各所に、妻入りと平入りの中間的な造りが特徴的な「かぐら建て」などの古い家屋が残る町並みが見られます。
元々は三國神社付近にあった港が、時代が進むにつれてより下流へと移ってゆき、それに伴って港町も下流へと広がって行ったため、このような長細い形の町になったということです。
海上交通の拠点であったにもかかわらず、日本海に直接面していない河港であるというのが特徴的で、河川を使って運ばれてきた越前地方各地の物資を集積し、さらに他の地域へ運び出すという形での物流によって繫栄しました。

商家や銀行の洋風建築が集まる「きたまえ通り」や、かつての花街も

現在もっとも古い町みが残っているのが、旧岸名家住宅や旧森田銀行本店などの建物が並ぶ「きたまえ通り」の辺りです。
上町・中町の辺りから、より九頭竜川の下流側の新町エリアへと中心が移って行った三国湊の港町ですが、この辺りは江戸時代に入ってから計画的に開発された元町地区に当たります。
廻船問屋などの屋敷が集まっていた区域で、 三国湊独特の「かぐら建て」が特徴的な旧岸名家がこの地区のシンボル的な存在となっています。
また、さらに下流側に当たる「思案橋」「見返り」の辺りには、かつての遊郭の名残が色濃く感じられる町並みなどが見事に残っています。
これらの橋は、近の入り口のような意味があり、訪れる客にとっても外界との区切りのような役を持っていました。
九頭竜川沿いの全長2キロ以上の範囲に渡って続いている三国湊の町では、他にも各所で古い町並みを見ることができます。時間が許せば三国港駅周辺から三国神社の辺りまで、ひたすら探索してみるというのも面白いかも知れません。


福井駅との間を結ぶ、えちぜん鉄道の三国駅&三国港駅が最寄り駅

北陸新幹線が延伸開業した福井駅と三国湊の間には、えちぜん鉄道の三国芦原線が走っています。第三セクターによる運営ですが、以前は京都の京福電鉄が運行していた路線で、1928年開業という古い歴史を持っています。
三国駅と三国港駅間の区間はさらに歴史の古い国鉄の三国線(1913年開通、1972年廃止)の一部を引き継いだ区間となっています。
三国港駅の駅舎は、国鉄時代の駅舎を大正時代の姿を再現するために改修したもので、非常にレトロな雰囲気。
駅のそばには、国鉄時代に作られたレンガのアーチ(国登録有形文化財)が残り、国鉄時代のホーム跡も現存しています。

古い町並みが残る「きたまえ通り」は三国駅から近く、そこから三国港駅の周辺にかけて古い町並みが続いているので、町の散策にはなかなか便利な路線となっています。
福井駅から三国駅までの所要時間は約50分、運賃は780円です(2026年1月現在)。運行本数も1時間に2本以上あります。
使われている車両は車内のリニューアルなども行われていて明るい感じで、快適な列車の旅が楽しめます。

若桜(鳥取県若桜町)~全線が鉄道博物館のような若桜鉄道の終点~
山陰と山陽を結んだ若桜街道の宿場町にして商家町

鳥取市の南東、鳥取県と兵庫県の県境近くにある若桜(鳥取県若桜町)は、八東川沿いの小さな平地にある町です。
元々は1200年ごろに置かれた若桜鬼ヶ城の城下町がその起こりで、現在の市街地の南側にある山の上に、城跡が残っています。
鳥取の城下町から戸倉峠を越えて姫路までを結んだ若桜街道(因幡街道)が通る交通の要衝で、その宿場町として、また物資が集まる商家町としても栄えました。
若桜駅の南側を通る「本通り」がかつての若桜街道に当たり、その沿道の上町・中町・ 下町には昔ながらの町並みが続いています。
また、「本通り」の北側にある「裏町通り」にも土蔵とお寺が連続する町並みが残り、これらは合わせて重伝建地区に選定されています。
「カリヤ」の続く本通りと、土蔵が並ぶ奥町通り

「本通り」沿いの町並みの特徴は、一階部分の庭を長く伸ばして雪除けとして、その下を歩けるようになっている「カリヤ」のある木造家屋が残っていることです。
雪国の歴史的町並みではしばしば見られる、「木造のアーケード」とでもいうべきもので、 他の地方で「雁木」や「こみせ」と呼ばれるものにも似ています。
古い家屋がもっとも集まる中町にある、明治中頃の民家を改修した、「若桜民工芸館」という施設(入館無料)では当時の民家の様子を見学できて、「かりや」の向こうに通りがある風景を家の中から眺めることができます。
館内では、この地方の名産である上路の展示が行われています。
「奥町通り」は、これらの家屋のまさに裏側に当たる通りで、家の細長い敷地の一番奥側に当たる土蔵が、良い通りに沿ってずらりと並ぶ様子が壮観です。
防火対策として人家を建てることが制限されたことから、土蔵が並ぶこのような景観が形成されることになりました。
通りの向かい側には四つのお寺が連続して並んでいて、これらが一体となって作り出す景観は非常に特別なものとなっています。

路線ごと鉄道博物館のような若桜鉄道

鳥取市の南にある、因美線の郡家駅と若桜の町の間をつないでいるのが、第3セクター鉄道の若桜鉄道です。元々は1930年(昭和5年)に開業した国鉄の若桜線で、一帯で産出される杉の丸太を運搬するために建設された路線でした。ほぼ全線にわたって、左右を山地に挟まれた人東川沿いの半地を走っていて、その行き止まりのような場所にある若桜の町で終点となります。
駅舎や転車台など、昭和初期の鉄道の姿を伝える施設が多数残っていて、そのうち23の構造物が2008年に登録有形文化財に登録されているという、路線ごと鉄道博物館のようになっている鉄道です。
若桜駅の駅舎も開業当時以来の木造のもので、内部はカフェとしてリニューアルされていますが、レトロで非常に趣のある雰囲気となっていて、落ち着いてコーヒーなどを飲みなから列車を待つことができます。
また、運行されている車両の中にも、「若桜号」や「八頭号」など水戸岡氏の手によって内外装を改装された観光車両があり、こちらもレトロな雰囲気の中で列車を楽しむことができます。



若駅から「本通り」までは100メートルちょっとで徒歩5分ほど、列車を降りるとすぐに町をみ散策が始まる感じですね。駅前には観光案内所もあり、コインロッカーに荷物を預けることもできます。
「スーパーはくと」などの特急列車も停車する郡家駅から若桜駅までは所要時間約30分。 鳥取駅からの直通列車もあって、こちらの所要時間は約1時間です。
列車の本数は1~2時間に1本程度、駅から駅までの運賃は440円となっています(2026年1月現在)
紀伊御坊(和歌山県御坊市) ~日本一のミニ私鉄に乗って、寺内町の町並みへ~
「日高御坊」を中心に発展した寺内町

御坊(和歌山県御坊市)は和歌山県の中部、紀伊水道に面した場所にある町で、日高川の河口近くに市街地が広がります。
16世紀、戦国武将の湯川直光によってこの地に建立された、本願寺日高別院(日高御坊)の周囲に発展した寺内町がその起こりで、 商人や職人が多く集まり、江戸時代には紀州街道や日高川の水運を利用した物資の集積地となりました。
日高御坊の寺内町が、今でもそのまま「御坊」という地名となっているのが面白いですね。
日高川河口という立地を生かした船業が盛んになったことから、江戸や大阪へも特産品の出荷が可能となり、近隣の湯浅などと同じく味噌などの醸造も盛んとなりました。このようにして、御坊は商業の中心として大きく発展しました。
日高別院の周囲には各種の問屋や旅籠などがいくつも建ち並ぶことになり、その名残である古い町並みが今も残されています。

日高御坊周辺のいくつもの通りに沿って、古い町並みが残る

日高別院の東側、寺内町の中心を南北に走る東町通りに沿って、古い町並みが残ります。
通りに面する別院の山門の北側、佐竹家住宅と伊藤家住宅、そして華岡医院(世界で初めて全身麻酔を成功させた江戸時代の医師、華岡青洲の子孫が開業)が通りを挟むように向かい合って建つ風景が特に見事です。
また、通りを少し南下したところにある川瀬家(かつては志賀屋という編問屋だった)や岸野酒造本家の酒蔵なども、古くから栄えたこの町の姿を今に残しています。
東町通り以外にも、日高別院の西側を通る中町には林業で財を成した堀河屋又兵衛家住宅主屋などの伝統的な家屋が残り、別院の北側を東西に通る横町にも、うだつ風のガラス行灯看板が個性的な和菓子屋の有田屋など、古い家屋の連なりが見られます。
寺内町を囲むように流れる下川の南側に当たる新町にも、醤油や徑山寺味噌(金山寺味噌の原型)の醸造元である堀河屋野村の周辺などに、昔ながらの町並みが残っていました。
市街地の至る所で歴史を感じることができる魅力的な町、と言えます。

日本一のミニ私鉄、紀州鉄道のディーゼルカー(レールバス)で寺内町へ

JR紀勢本線の御坊駅は、御坊市の市街地の中心部からは2キロほど離れたところにあります。
その御坊駅と市街地の間を結ぶように走るのが紀州鉄道の路線です。1931年に御坊鉄道という名前で開業し、のちに御坊臨海鉄道、そして東京の不動産会社に買収されて現在の紀州鉄道という名称に変わりました。
全長2.7キロと日本でも最小クラスの営業距離の私鉄となっています(最短は千葉の芝山鉄道ですが、こちらは単独の路線ではなく京成線の延長部分のような形)
全線非電化の路線を、たった1両のディーゼルカー(レールバス)が行ったり来たりと走っています。
市街地の中には、学門駅から紀伊御坊駅、市役所前駅、そして終点の西御坊駅と四つの駅があり、それぞれの駅間は200~300メートル程度しかなく、市内電車のような密度で駅がある感じです。
日高別院や御坊の町並みに一番近いのは終点の西御坊駅や市役所前駅ですが、2026年1月現在は紀伊御坊駅から西御坊駅の間が運休中なので、紀伊御坊駅が最寄ということになります。 紀伊御坊駅から日高別院までは約900メートル、徒歩10分程度となっています。
御坊駅から紀伊御坊駅までの時間は約5分。運転本数は1時間に1~2本程度となっていて、運賃はずか150円となっています (2026年1月現在)
なお、報道によると、2022年に親会社となった中国企業の方針により、紀州鉄道の存続は困難な状況にあると言われていて、早ければ2026年中にも廃業の可能性があると言われています。
御坊の古い町並みと、紀州鉄道のノスタルジックな路線の組み合わせは素晴らしいものなので、できれば早めの訪問をお勧めします。
(万一廃止されたのちにも、本記事は注釈の上残しておきます)




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