Episode6 |
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町家がいくつも残る旧市街だが、その残り方はあくまで飛び飛びにと言った感じで、古い建物ばかりがまとまって残っている箇所は少ない。重伝健地区などに選ばれるのは難しいだろう。しかしそれでも、城下町としての歴史は十分に感じられる。例えば四つ辻の一角や、路地の突き当たりに、古い和菓子屋や造り酒屋の建物が一つ残っているだけでも、辺りの空気はがらりと変わる物なのである。それらは町の過去とのつながりを示す、証なのだ。当たり前だが、歴史の無い町には、たった一つの歴史的建築物さえも存在し得ない。 車が何とかすれ違える程度の狭い道が、格子状になっているのも、いかにも城下町という雰囲気だ。辻ごとに、交差する通りをのぞき込み、様子を確かめながら歩く。どの通りにもいくつかは古い建物が残っていて、町の歴史を主張している。しかし歩き回っているうちに、自分がどこを歩いているのか段々訳が分からなくなってきた。古い町並みには、一種完結した異世界という性質があり、しばらくその中にいると現実感を失ってしまうことがある。ましてここは盆地の都、独立した小宇宙なのだからなおさらである。 だから実は、ここに掲載した写真も、それが町のどの辺りなのかは正直言ってよく分からない。今、地図を確認してみてさえ、それがどこに当たるのか不明なのである。しかし、ありがたいことに東西南北の感覚だけは失っていないから、迷ってどうにもならなくなるようなことはない。こういうきれいな格子状の町は、その辺が便利である。とにかく寺町へ向かおうと、東へ歩く。 途中で、山車を見かける。伊賀上野には天神祭という大きな祭りがあり、この山車はその祭りに用いられる物である。写真では、飾り物をほとんど外されたフレームだけの状態なのだが、本番ではきれいに飾り付けをされて、京都祇園祭の山を思わせる豪華な姿に変身する。後で分かったのだが、この日は実は三日間続いた天神祭の翌日で、町全体に漂っていた寂しさは、「祭の後」のそれであったらしい。 適当に歩き回っても、ちゃんと寺町にはたどりついた。伊賀上野において最も整った景観が見られるのが、この寺町である。その名の通り、通りの両側にいくつもの寺院が並んでいるのだが、きれいに舗装された道と、続く塀の取り合わせが美しい。小京都と呼ばれるような町においては特に、「寺町」に当たる区域がある場合が多いのだが、ここの景観は特に端正であると思う。町の守りのために寺を集めて防衛線とした、という由来は、他の町にある寺町と同様である。 寺町にほど近い場所で、電車の駅を見つけた。例の、近鉄伊賀線の駅である。名前は「広小路駅」となかなか立派なのだが、周囲に特に大きな通りは見あたらないし、駅自体はまるで小屋のような造りである。しかし、そのひなびた雰囲気にはかなり心惹かれるものがあった。せっかくだから、ここから電車に乗ってみようと思い、駅の中に入る。もちろん無人駅で、自動改札機などという洒落た物はない。プラットホームだって、ごく短い。どう見ても超ローカル私鉄の駅であって、上本町駅とか京都駅なんかと比べると、同じ近鉄電車だとは到底思えない。しかし時刻表を見ると、一時間におよそ2本くらいの電車が走っていて、本数は特に少なくはなかった。幸い、少し待つだけで、上野市駅行きの電車に乗ることができた。 車窓からの眺めはまさに市内電車で、家々の間をぎりぎりにかすめて走る。しかし走り出したと思ったら、すぐに次の上野市駅である。何せ駅と駅の間が300メートルくらいしかないのだから、あっと言う間だ。ほとんどの乗客がこの駅で降りるが、その多くが高校生である。上野市駅は、さすがにさっきの広小路駅よりは立派だったが、しかし小さな駅であることには変わりはない。 むしろこの上野において、町の中心的な風格を漂わせているのは、上野市駅と広場を挟んだ反対側にあるバスターミナルだろう。「上野産業会館」ビルの中にあるこのバスターミナルは、写真を見ていただければ分かる通り、かなり広い待合室や売店などもあって、立派な造りである。伊賀上野はバス路線網の一大拠点で、名張など周辺の町との路線はもちろん、奈良や名古屋との間にも直通の高速バスが一日に何本も走っているのである。これではローカル近鉄は勝ち目はない。 それにしても、これだけの規模のバスターミナルがあるということは、やはりこの町の拠点性の高さを物語っていると言って良いだろう。天理行きのバスに乗って帰りたい気もしたが、今日は車である。またあの恐ろしい名阪国道を自分で走って帰らなければならない。次の機会を待つことにしようと思いつつ、城址公園の駐車場へと歩き出した。
次回(Episode7)は、 |