Episode1
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再び夢京橋に戻り、途中で横道にそれると、さっそく町家の集まる一画に出る。現役の医院として使われている建物が、立派だ。しかし、撮れた写真はやはり今一つのものであった。空はどんよりとしたまま、ぼんやりと不透明な空気越しの町並みは、コントラストを失って平面的である。せっかくの一眼レフだし、露出などをいろいろ弄ってみるが、この空気をカバーできるほどの腕はない。記録として最低限の写真のみ撮り、引き上げることにする。遠い町ではない。また来ればいい。町並み撮影は、腕より根気だと自分に言い聞かせる。 夢京橋キャッスルロードへと戻り、しばらくぶらぶらしてから、彦根駅へと引き返す。行くあてはないが、このまま帰るつもりもない。駅まで帰れば、何か思いつくだろう。さびれつつある商店街の写真などを撮りながら、また歩く。 このクラスの都市の中心商店街は、どこも苦しい。みんな車で、郊外のスーパーへ買い物に行くのだろう。四番町の前身であった市場商店街など、薄暗いアーケードのせいもあってか、不安になるくらい元気がなかった記憶がある。滋賀県の場合、地元資本の準大手スーパーが、あらゆる場所に店舗網を張り巡らせているのだから、なおさらである。琵琶湖周辺では、どこの町へ行こうとも、そのシンボルマークである二羽の鳩から逃れることはできない。絶対に。 こうして彦根駅に戻ってはきたが、しかし結局良いアイデアなど思いつかない。じゃあ帰るか、帰るのだったら一度米原まで行こうかと運賃表を見上げる。帰る方向とは逆になるが、一駅となりの米原は新快速電車の始発駅であり、確実に座って帰れるからだ。いや、どうせならと僕は思いつく。米原までなら、近江鉄道が平行して走っているはずだ。JRで同じ区間を往復するより、違う経路を通る方が面白いのではないか。どうせ、先を急ぐわけでもない。 早速、彦根駅の外れにある近江鉄道のホームへと向かう。ほんとに外れであって、目の前は電車の車庫である。列車はほぼ三十分に一本だが、幸いなことに米原行きはすぐにやってきた。わずか、一両編成だ。車両の前面でライオンズのレオマークが吠えているが、これは近江鉄道が西武グループの傘下だからだ。昨今何かと話題のこの巨大企業だが、創業者の出身地であることから、滋賀県との縁が深い。しかし電車は、不正疑惑などとはまったく無縁に、ゆっくりと走り出す。 駅を出た近江鉄道の路線は、北へ向かう東海道線に別れを告げて、東へと向きを変える。彦根市街地の東側は、かつて佐和山城があった山地だから、電車は当然そこを越えなければならない。モーターをうならせながら坂を登り、トンネルをくぐる。なぜわざわざこんなルートにしたのかは知らないが、アップダウンが激しくてなかなか楽しい。国道8号線も、ほぼ同じルートを採っている。 米原までは、東海道線なら一駅なのだが、近江鉄道には中間の駅があり、鳥居本駅という。いかにも歴史のありそうな地名だが、実際にここは鳥居本宿という宿場があったところであり、街道沿いに町並みが残っているとも聞いている。恐らくは、ここに寄るためにわざわざ山越えコースでレールを敷いたのだろう。しかし今日は何の資料もないことだし、なにより天気が良くないので、車窓から眺めるにとどめることにする。 そこから先は、国道沿いを坦々と、電車は走る。少し離れて平行する新幹線の高架を、のぞみ号と思われる超特急が駆け抜けていくが、あれは別世界の乗り物だ。退屈で眠ってしまいそうなので、ここで雑談を披露しよう。 「米原駅」の読みは、「まいばらえき」である。この駅を知っている人なら、わざわざ説明するまでもないことだろう。しかし、この駅が位置する町の名が、「まいはらちょう」であったことは案外知られていない。濁らずに、あくまで「まいはら」なのだ。ところがこの「米原町」、今年(平成17年)の2月14日に山東町、伊吹町と合併して「米原市」となった。市と呼ぶには苦しい規模の町なのだが、これはまあ平成の大合併ではさほど珍しいことではない。で、この「米原市」をどう読むかというと、これが「まいばらし」なのである。濁っている。駅に合わせたのかどうかは知らないが、ややこしい話ではある。ちなみに、北陸自動車道のインターチェンジは「まいはらIC」らしい。どうするんだろう。 などと、余計に眠くなりそうな話をしているうちに、電車は冒頭の米原駅に到着する。「今、僕が降り立ったのは」という箇所に、やっと戻ってきた。
Chapter3へ続く |