Episode3
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駅からの道は、明らかに最近拡幅工事が行われていて、またしても少し不安になりながら南へ歩く。しかし旧街道との交差点で左右を見回すと、以前とさほど変わった様子はなかった。ほっとしながら、まずは東側の町並みから歩き始める。 有松宿は元々、鳴海宿と知立宿の間に造られた「間宿」であって、東海道の宿場ではあるが、いわゆる五十三次には数えられていない。そんなこととは知らず、以前は町並み写真館の説明文に、「東海道五十三次の一つ」と書いていた。新バージョンのほうは直してあるが、今でも旧バージョンには誤ったままの説明文が残っている。これはこれで一つの歴史ではないか、勝手にそう思っている。 江戸時代の有松は、浴衣などの生地として使われる「有松絞り」の産地としても繁栄した。なにせ宿場町であるから、お客である旅人は次々とやってくるわけである。有松絞りは、彼らにとってうってつけのみやげ物であったようで、飛ぶように売れたらしい。その様子は、安藤広重の「東海道五十三次」の中にも描かれているほどである。って、ちょっとおかしくないか? もちろんおかしい。有松宿は五十三次ではないのだと、さっき説明したばかりではないか。 結論から言うと、広重が五十三次の「鳴海宿」として描いたのは、実は隣の有松宿だったらしいのだ。実に紛らわしく、そもそも前述の勘違いも、「東海道五十三次」に有松宿の風景が描かれているということを知ったせいで起きたのだ。と、こんなところで言い訳をしてみても仕方ないが、とにかく広重の時代には、「有松絞り」はそれくらいメジャーな名産品だったわけである。 写真を撮りながら街道筋を歩くが、なぜか電柱がすべて傾いていて、ファインダーを覗くと酔いそうになる。それにしても、なかなかに見事な町並みである。国の重伝建地区に選定されていないのが不思議だ。市の保存地区になっていることで、町並み保存の目的は達せられているのだろうが、ちょっと惜しい気もする。もっとも、重伝建になどなってしまえば、観光客が押し寄せてくる恐れもあるから、このままでいいのかもしれない。僕の持論としては観光化は悪ではないのだが、個人的感情から言えば観光客は少ないほうが快適だ。当然。 と言っても、今でも観光客が皆無というわけではない。たとえば片手に地図、片手にデジカメで歩いているあの女の子とか、あれは多分観光客だろう。しかしこんな寒い日に物好きな、という気もしないではないのだが、それはお互い様ではある。まあ、万博なんか見るぐらいなら、ここのほうがよっぽど価値があるだろう。万博を実際に見たわけじゃないんだから言い過ぎの気もするが、でもこれだけの立派なうだつはなかなかそこらじゃ見られませんよ、これは実際。 町並みの南側は小高い丘のようになっていて、小学校などが建っているのが見える。宿場の東端にたどりついた僕は、少し道をそれてそちらに向かってみる。見晴らしが良ければ、街道筋を見下ろせるかもしれない。しかし、見晴らしは良くなかった。町並みは竹藪の間にわずかにしか見えず、猫が日なたで眠るばかりだ。 それにしても、寒い。軒下の猫たちはいいが、冷たい風が吹き抜ける通りを歩くこちらは、かなり辛い。耐えきれずに、自販機で缶コーヒーを買い、指先を暖めつつ郵便局のキャッシュコーナーに逃げ込む。こんな時、どこにでもある郵便局は結構便利なのだ。民営化しても、頑張ってユニバーサルサービスを維持して欲しいものである。こんな使われ方は迷惑だろうけども。 一息ついてから、旧東海道を今度は西の端まで歩く。冬至であるから日は短く、すでに夕暮れの空気が漂い始めている。今日は音楽は聞こえてこないものの、陽が落ちてしまえば写真が撮れないので、少し急ぎ足になる。焦って歩けば、西の端まではすぐであった。 Chapter3へ続く |